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2010/08/31 5:46

夕暮れ時のOさんの別荘(山中湖・旭ヶ丘)
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2010/08/29 2:28
 
左は御前崎上空から見た富士、右は東京湾から見た夕焼けの富士
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2010/08/27 17:36

ユース五輪女子柔道団体戦に優勝した田代未来選手(写真左)と混合チームメンバー
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2010/08/27 10:06
高知市内の境川べりにある成田先生の2階部屋はまったく冷房装置が無いにもかかわらず川風が吹き込んできて涼しいのです。
朝夕は窓を開けておくと寒いくらいだそうです。「きれいな水ですね」と言うと、「とんでもない。仁淀川は澄んでいて川底の小石が見えるのにここはそうはいかない」と言下に否定されました。故郷の川で鮎をとるのがこちらに来る最大の理由だそうで冷凍庫には収穫の鮎でいっぱいでした。
高知市唐人の成田先生宅の2階から見た境川
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2010/08/26 6:18

仁王町・「カフェ・ド・フロー」(夕日の見える「レストラン」)で初めて夕日を眺めながらディナーを楽しみました。昨年の暮れに無二の親友だったMとランチを食べたのを思い出しました。
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2010/08/25 6:47
今日の午後に東京からの「珍客」を同道して京都からY先輩夫妻が到着予定、明日はご一緒して高知のN先生を訪ねる予定です。おそらく「こんな遠くへ来たもんだ」という気分に浸ることができるものと今から胸がわくわくします。
それこそ思い起こせば大阪の高校教員を辞して東京に戻り、大学院に学ぶ決意をしてからすぐに研究面だけでなく公私にわたるお世話をいただいた先輩・先生方です。研究者としてはもちろんのこと、人の生き方を後ろ姿で教えていただいた40数年だったと、心から感謝の気持ちでいっぱいになります。
それだけにどのようなおもてなしをしていいのか、少々気にはなりますが、そのことよりもお会いできる「時間」を共有できることを十分に楽しみたいという気持ちの方が高まるのですから不思議なものです。
自分の教え子たちには人生の「三つの宝」として「師」(一生、師として尊敬できる)、「書物」(常に自分の進むべき指針を与えてくれる)、「友」(生涯支え合える)を持つことと、何かことあるごとに話してきました。
私にとっての「師」は直接指導婦を受けた恩師だけでなく文字どおり「私淑」できる「師」が指を数えるほど存在するという「幸せ」をいつも実感します。「書物」についても即座に何冊か挙げることができます。また「友」も数人挙げる(その一人、高校時代からの友人Mが今年2月に亡くなったのは今も胸が痛みます)ことができますので、結構、「幸せな人生」を歩んでいるのではないかと思う、今日この頃ですね。 ...
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2010/08/24 22:58
こちらも猛暑が続いています。融合研宮崎会長夫妻は元気に庄内半島や琴弾公園の道の駅などを精力的に見て回る元気の良さ、驚くばかりです。
夕方、クラブネッツのTさんが仕事の帰りに寄ってくれました。なんでもお隣の琴平町にあるヴィスポことひら、S学院大学の経営問題等、コンサルト事業を手広くやっている感じです。今日の最終便で帰京するというので息子も一緒に空港まで送ってもらうことになり、こちらはやっと一息入れました。
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2010/08/23 7:02
 
内子駅前の蒸気機関車、内子座近くの蕎麦屋さんでの軽いお昼は「季(とき)蕎麦」でした。大きななすびの天ぷら、蓮の葉の上に蕎麦を載せ、野趣味あふれるもてなしでした。
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2010/08/22 7:30
まさかと思われるかも知れませんが、昨夕、四国・詫間マリンウエーブで大阪交響楽団と大谷康子さんの共演でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とチャイコフスキーの協奏曲、贅沢な2曲のコンサートがありました。
いつものとおりというか、どこでも観客に笑顔を絶やさない彼女ですが、昨夕はいっそう笑顔でアンコールも2曲、終了後はサイン会と、これファンサービス満点、声をかけたところ「あら、先生、ここまで来てくださったの」と、これまた満面の笑みで答えてくれました。
あいにくデジカメを忘れ来たので携帯で撮ったのですが、ぶれていました。
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2010/08/21 6:49
昨日、四国入りしたのですが、暑さが東京とはちがいました。射すような暑さと、例の瀬戸の凪とよばれるような風が吹かないので蒸し暑いので参りました。
今日は夕方に詫間で大谷康子さんのヴァイオリン・コンサートがあります。隣のお寺さんの住職(声がすごくいいので読経には惚れ惚れします!)を誘っての楽しみです。
あいかわらずIT環境(設定したはずですが、うまくいきません)が悪く、しばらくは携帯電話での接続です。新聞も無いので情報がネットに限定されます。コメントは時間をおいてからにしましょう。
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2010/08/19 16:56
長い間雑誌等に原稿を書いてきて「読者」からの直接の「反応」というのはなかなか得難いのですが、昨日、『月刊社会教育』8月号の[特集]高齢者のくらしと地域活動に書いた拙文「心とからだの変化と向き合う」を読んだという方からメールをいただきました。
その方も私と同じく前立腺ガンの疑いがあるというので「生体検査」を受けたのだそうで「他人事ではない」と思って共感していただいたのだと思いますが、すぐに「お礼」のメールを送ったところごていねいにも2通また返事をもらったのです。とくに2通目にはかなりくわしく「状況」を書いておられたのですが、それから判断する限りはまだ「判定」されたわけではなそうですのでかなり私とはちがうと思います。でも「同病相憐れむ」ということでしょうか、親近感とともに「同志」という感じがしてくるから不思議ですね。
そのことを書きたかったのではなく、コミュニケーション不足が説かれる昨今、どこで私のメールアドレスをお知りになったのかわかりませんが、ダイレクトでメール交換ができるというところが現代的なあと思うわけです。しかもその方は私よりも3っつも年齢が上の方ですからIT能力もかなり高いと思ったわけです。 ...
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2010/08/18 23:55
久しぶりに東京に戻ってきたらまたまた「猛暑」だという。車の中はエアコンが利いていてわからかったのですが、車から外に出たとたんにむっとした風、いやあ参りました。人間、かなり馴化されていくようでこれまで海抜1000メートル弱のところで生活していると、それが当たり前の感覚になってしうものらしいですね。
たとえば「相撲を知らない者に(相撲)協会の長にはなれない(本音はなってほしくないか?!)」というのは「相撲の世界での常識」でおそらく関取衆にはごく「当たり前」の話でしょうが、ここのところスポーツ界にもマネージメントだとかガバナンスなどという言葉がしきりに使用されるようになり、サッカーのJリーグやプロ野球でもいわゆる「ビジネス感覚」の組織運営が「当たり前」になってきているのとはまったく逆の話になります。
さて、話はがらっと変わって恐縮ですが、「イタリアのスポーツとクラブ事情」について「初校ゲラ」が出てきましたのでいち早くリンクを張っておきたいものです。しかし今はリンクの仕方がわからず困っています。
今日の午後からこれまた時間ができましたので新宿に出て東急ハンズと紀伊国屋をうろつき、何冊かの本を買いましたが、その中の天木直人『さらば日米同盟!』(講談社、2010年)にはイタリア時代からの畏友T教授が天木氏から高く評価され、引用もされていました。こんなに評価されて彼の身辺が危うくなるのではないかと心配するくらいです。 ...
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2010/08/17 19:38
「知の巨人」と言われた梅棹忠夫さんが亡くなってすでに一ヶ月が過ぎました。私などは院生時代から例の「京大式カード」でずいぶんご厄介になりました。やはりフィールドワークや京大人文研での経験に基づいて生まれた「知的生産の技術」は当時は画期的なもので文字通り「目から鱗」といった感じでした。
ですから『知的生産の技術』(岩波新書、1969年)で展開された、今で言う「情報学」は1960年代から70年代にかけては多くの研究者や学生にも影響を与えたはずですが、正直なところ私も大きく影響を受けた一人です。いまでも思い出しますが、まだワープロの登場していない時期に英文タイプライターを打つように日本語を書く「器械」があればどんなにいいか、そんことを梅棹さんは書いておられました。
私がイタリアに「遊学」した1980年当時にもまだ個人レベルでは「ワープロ専用機」(東芝の日本語ワープロ専用機は1978年発売、値段は1台630万円だったそうです)を買える状況ではなく、オリベッティのタイプライターを友人から譲り受けて使っていました。とてブラインド・タッチというわけにはいきませんでしたが、それでも重宝したものです。イタリアから帰ってきてしばらくしてあっという間に「ワープロ専用機」が普及し、私はもっぱらリコーのを使っていました(今もその1台が忍野に健在)。PCによる日本語ワープロへの移行には結構時間がかかりましたが、未だに表計算やグラフ作成などは苦手ですね。...
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2010/08/16 22:41
往年の「アイドル」(60年代後半からサユリストなる言葉も)吉永小百合さんが20年にわたって続けてきた「平和コンサート」、今年は被爆65年ということで特別企画だそうです。
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2010/08/15 17:05
「終戦記念日」をあえて「敗戦記念日」と書くのはへそまがりだからかと思われるかもしれません。いつだったか孫基禎さんの「消えた国旗事件」のテレビ番組の中で「8.15解放記念」という文字を掲げて群衆がソウル市内の街頭で叫びながら走り回っているのを見ました。
同じ「8.15」も受けとめ方や立場によってまったく違うものになりますね。戦争中に憲兵に捕まり獄中に居た哲学者や社会科学者、平和主義者・宗教家、教育者たち(そのなかに三木清や戸坂潤も居ました)にとっては待ちどうしかった「解放」記念日だったでしょうが、解放されるのが遅れて獄中で亡くなった人も居ます。その遺族(ばかりでなく日本の民主主義を願った多くの人たち)にとっては「無念の日」ということになります。
私は以前にも書いたように1945年8月15日は大連の満鉄社宅だったと思います。母が柱にもたれてラジオを聞きながら泣き崩れたのをかすかに記憶しています。そのときはもちろんラジオ放送の中身が何であったか知る由もありません(いまはもちちろんそれが「玉音放送」だったと後知恵ながらわかります)。
昨年の夏はその大連に引揚げ後初めて訪れたのでした。海水浴に行ったことのある「星が浦」(今は星海公園と変わっていました)も夢の跡、ただただ暑かった大連でした。 ...
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2010/08/14 15:45
どういうわけか昨日の夜から電波受信の状態が悪く更新が滞っています。
昨日、今日の読売新聞連載企画「スポーツ立国」第3部、推察どおりというか、昨日は英国、今日はカナダだったのですが、「みんなのスポーツ」はまったくふれず、「競技力向上」「強化策」オンリーでした。
これだと最後の「オチ」も日本も国家による助成を大幅に増やすか、あるいは徹底した商業主義を貫くか、後は企業の社会貢献と地域スポーツによる「下支え」(?)、「スポーツ立国戦略(案)」がまったく財政的には自民党スポーツ立国調査会で「腰砕け」と批判されたとおりですから、せいぜい「寄附文化の創成」に期待するしかないということになりかねません。
高校野球も真っ最中ですが、「汗と涙の甲子園」の押し売りだけは勘弁願いたいものです。
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2010/08/13 7:34
今朝の富士山は朝靄から突然姿を見せてくれました。
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2010/08/11 12:06
今朝の忍野の富士は頭だけでした。昨日の雨のせいでしょうか、まだ辺りは霧と雲に覆われたまです。
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2010/08/10 23:42
台風のせいか忍野は今日も朝から雨でしたが、孫のChiを連れて散歩を兼ねて新聞を買いに出ました。
本来ならこの先に富士山が見えるはずなんですが-------..。
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2010/08/08 1:09
昨夜のNHK総合「幻の甲子園」、久しぶりに良い番組でした。「昭和17年、太平洋戦争下、ただ一度だけ行われた夏の甲子園大会。球児たちは、戦場へ向かう前に甲子園で野球をやりたいと夢見た。その切実な思いゆえ、こ の年の甲子園は異様な熱気につつまれた。ところがこの大会は、高校野球の公式記録には一切残されなかった。あの汗、あの涙、球児たちの熱戦は、幻であった のだろうか。
実は、「幻の大会」の主催者は朝日新聞社から強引に開催権を奪った文部省であった。軍の協力のもと、甲子園を戦意高揚のために利用しようとしたのである。スコアボードには、「戦い抜こう大東亜戦」というスローガンがかかげられ、軍隊式ルールが野球の姿をゆがめた。-----」
番組の中で印象的だったのは「自分は野球をやっていてほんとうによかった」と、当時の平安中学で捕手をやっていた方の「言葉」でした。この「球児」たちにはこの大会は「幻の甲子園」ではなく、今なお人生の生きる糧になっているのだと思いました。再放送を期待したいです!
今朝の朝日新聞社説「甲子園開幕 君の夢を歴史に刻もう」にも戦禍に見舞われた「
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2010/08/06 22:11

自民党スポーツ立国調査会開会の挨拶に立つ遠藤利明会長(マイクを持っている)、左に森喜朗最高顧問、その先に橋本聖子副会長の顔も見えます。
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2010/08/05 10:59
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2010/08/03 21:56

忍野はあちこちに月見草(待宵草?)が今は盛りとばかりに咲いていますが、もうすすきも穂を出しています。
左のの写真の花は忍野を流れる桂川近くにいつも咲いている「フシグロセンノウ」です。朱色あるいはオレンジ色の花の野草は珍しいのでずいぶん前ですが、植物図鑑で調べたことがあります。
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2010/08/03 8:27
やっと締め切りから解放されたせいか、夜中まで本が読めます。それでついいい気になって本文のような「手前味噌」を書いてしまいました。でもいつかこういうことも若い人の参考になることもあるかということと、自分自身の「記憶」のために書き留めておこうと思っていたのです(黒井千次『老いのかたち』中公新書、2010年、中野明『ドラッカー流最強の勉強法』祥伝社、2010年などを読んだせいですか?)。
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2010/08/02 20:30
けさの朝日新聞に久しぶり小澤征爾さんの元気な姿が出ていました。この調子だと9月の松本・齋藤記念コンサートにも出演するのでしょうか。写真のキャプションに「食道がんを公表し、活動を休止して治療に専念していた指揮者の小澤征爾さん(74)が1日、長野県山ノ内町の奥志賀高原ホテルにある音楽堂で指揮台 に立ち、7カ月ぶりに報道陣などの前に姿を現した。演奏後の会見で小澤さんは「第二の人生の始まり」などと活動再開の心境を語り、笑顔を見せた=安冨良弘 撮影」とありました。
うれしい限りです。来年は是非、かれの指揮棒を振るところを見に行きたいものです。
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2010/08/01 22:37
昨日の夕食は忍野在住の陶芸家松田百合子さん宅におよばれでした。同じく村の農家を借りて住んでいるゴードンさんもご一緒、たまにはこういう会食も気分転換にいいですね。松田さんの家は100数十年前の民家を移築して立て直したものですが、日本の古い家のつくりが現代によみがえったようで落ち着きます。料理はクスクスを前菜にズッキーニの上に合挽きの肉を乗せてオーブンで焼いたもの、白ワインが出ていましたが、香りを嗅ぐだけです。こちらはノンアルコールで乾杯のみ、まあ仕方がないですね。
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2010/07/31 7:33

今朝の富士はまだ頭に雲をかぶっていました。右の花は散歩の途中で見つけたのですが、名前はちょっとわかりませんが、一重の、素朴な感じのはなです。
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2010/07/30 21:02
朝方に雨は上がったようで夕方近くに吉田まで買い物に出かけた時に頭だけが見えた富士山です。その後、忍野でもと思ったのですが、もう雲が覆ってだめでした。
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2010/07/29 11:05
忍野は昨夜以来、今日もあいにく雨ですが、部屋を閉め切っているせいか雨音は聞こえません。おかげでイタリア語の翻訳も進んでいます。
早く原稿を書き上げて解放されたいです!
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2010/07/28 13:09
今朝の忍野から見た富士山です。午後には雲が出て姿が見えなくなりますので朝の散歩を兼ねた新聞買いの帰りにすかさず1枚撮っておきました。お昼過ぎるとこちらも気温が26度くらいになりますね。
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